ドマ編は、きっとヨツユの戦いの軌跡でもあった。

ツクヨミ討滅戦BGMのLyricsが公式ブログに発表され、またもネタが!奪われる!と焦って今この記事を書いていますw
とはいえ他の予約記事をどうしても先行させたいので、結局この記事自体はそこそこの時間が過ぎてからじゃないと出ないんですけどね。

4.0のラストで、ドマ城の崩落からゴウセツと二人押し流されて無人島にたどり着いた描写があり、その時はプレイヤーの多くが「ハァ?!何で生存描写なんかしとるんじゃあ!中途半端なことすんなや!」と怒り心頭だったと思うのですが。

タイトルの通り、ドマ編は帝国からドマを奪還する物語であったと同時に、ヨツユにとって自分の生や存在というものに対する葛藤と決着の物語だった、ということなら割と納得がいくなあ、と4.3のMQ終わらせた直後には感じていました。

……ぶっちゃけると3.xと同様、x.0時点のラスボスとは別に戦後編として3.0に連なる物語の幕を引く、という意味でアラミゴより後にドマを持ってきた時点で、ドマに根付いた何かしらのラスボスが必要だった。そのためにヨツユが用いられた、という順番の方が正しそうですが最高に無粋な推測です(

某所では「ゴウセツが老いらくの恋で記憶を失ったヨツユに懸想すんじゃね」みたいな予想があって、当初自分もそれに引きずられてしまったのが恥ずかしい。(特に4.3でメシ食わせてもらってたとことか「この色ボケ爺め」と割と本気で思っていたことを懺悔いたします)

ヒエンからゴウセツには帝国軍の襲撃で喪った妻子がいたことを聞くのがもう少し早ければ、あるいは印象がずいぶん違ったのだと思うんですが。
隠してたのはヒエンじゃなくて恐らくシナリオ側の作為だと思うので、どなたを恨めばいいんでしょうね。織田氏かなっちゃんか。

4.3終わってみれば、ゴウセツとの関係は非常に悲しいけれど健康的な相互投影の賜物で、ふたりともが互いに「手に入ることのない “家族” 」を見ていたのでしょう。それは各々血腥い世界でしか生きることの許されなかった二人にとって、大方のことが終わり手放した後に得た、確かに一時の安らぎであったはず。

特にヨツユに至っては記憶と自分そのものから手放してしまってるスケールですが、それほどのことがないと彼女は違う道を生きることが出来なかった、というのは想像に難くありません。

ヨツユが、ドマ城陥落の際にゴウセツを撃っていることは、4.2で彼女が再びドマに戻り、烈士庵にて引き渡しを受けた際にヒエンの口からも語られており、「ヨツユとゴウセツ」という二人にはそのような命の因縁がある上で様々な物事が発生し描かれている、ということが度々強調されています。

ヒエン「かつて己が指で引き金を引き、撃ってみせた男に寄り添い、慕ってみせるか……。」

4.2 喜ぶ者と、慄く者

ヨツユ「思い出さねば、生きられた……。
恨まれるだけでも、生きられた……。
でも、引き金引いた男に優しくされちゃあ、もう生きてやいられない……。」

4.3 柿と白銅鏡

ヨツユ(notツユ)という人間は、誰かに情けをかけられて生きていていい程の人間ではない、という認識が誰より強いのは、恐らくヨツユ自身だったのでしょう。

「何も知らないツユのまま」であれば、あるいは「全てから恨まれ憎まれ続けるヨツユ」であればそれ相応の道があった、でも今の自分には生きていくだけの資格がない、と。
もしかしたらこれが彼女の本当に最後の言葉だったかもしれなかったのです。
アサヒの計略があったので、絶対そうなるワケはなかったのですが!

ヨツユが、アサヒや養父母への憎しみどうこうよりも、自分を責め抜き命を絶とうとした一瞬があったということを、光の戦士は知ってしまった。
だからこそツクヨミと化した彼女をして誅滅せねばならなかったことに、プレイヤーからの罪悪感と印象がより大きいのだと思います。

心象風景をきちんと絵として描くというのは絶大な威力があるものだ、と改めて実感しました。
養父母に始まり、ドマの民と帝国軍、アサヒと来て最後にゼノス。彼女を攻め立て心身をまさしく「攻撃」する彼らにあって、最後に救いに現れるゴウセツ。フキダシの発言含め、討滅戦中の雑魚戦は本当に印象的でしたねえ。(真の方で良いので余裕持てるなら見てみて下さい)

あの場面が全部心象風景である前提で意味を解きほぐすと、ヨツユに呼びかけるゴウセツのセリフに込められたヨツユの感情たるや。

ゴウセツの幻影「ツユよ、生きるのだ!
生きねば償いも、恩返しもできぬのだから!」

4.3 十六夜の月

ゴウセツ自身がヨツユに「生きて贖うこと」を提言したり望んでいることを伝えるチャンスは一度だってなかったはず。
孤島で目が覚めた女性はツユであり、養父母との再会後ゴウセツと交わした言葉は疲れたので寝るの一言だけだったわけで、ゴウセツ自身がツユはもはやヨツユだということに気づくチャンスがありませんでしたので。

となると、「生きて償う、生きて恩返し」はヨツユの考えあるいは望みだったと言えましょう。
心底では生きたかったし償えるものなら償いたいという気持ちがヨツユに生まれていたのは、ほぼ間違いないと言えるかと。

しかし既に蛮神に身を落とし後戻りは叶わぬ状況、そこへ突きつけられた自身の儚くささやかな夢。
蛮神となることを決めた理由は別のところにあり、それこそが自分の全ての所業の幕引きだと恐らく本気で信じていたと思うのですが。

ツクヨミ「この力をもって、あとひとつ、 憎くて憎くてたまらないものを葬り去る……。 お前にだって、止められやしないよ。」
4.3 十六夜の月

自らを守るゴウセツの幻影の背中と光の戦士達の姿に、ヨツユが感じていたのは、後悔か、未練か、それとも?


しかしトレーラーの映像でゴウセツ負けてたのは、生存描写のあるゼノスが本当にやってきてゴウセツ殺してしまうんちゃうか、というミスリードを目的としてたことが吉田P/D自身の口から語られておりますな。やりやがったなちくしょう。

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