トールダン7世の傲慢と正義。

ガイウス閣下もそうでしたがやはり悪役にはポリシーがないとね。

リアリティを追求するのであれば、悪役にだって「良い人」の側面はあるわけです。
シナリオによってはその「良い人」の面をある程度受け取り手に提示しなければならないのですが、FF14の悪役はその「良い人」の側面でさえも、我ら光の戦士であるプレイヤーの実現したい正義とは相反する性質を持っているところがすごいなと思います。

トールダン7世も、ガイウス閣下も、含めてしまうならば蛮神さえ、彼らが実現したい正義というのは、自分の依って立つものを守るためにその他の全てを犠牲に踏み潰してよい、という正義なので、光の戦士の活躍を邪魔することがない。

その存在とポリシーとに立ち向かうべき絶対的理由もある。
だから光の戦士の戦いには大義がある。
これがカタルシスの理由の一つなのですが、そのためには猊下や閣下だけでなく、光の戦士にも彼らとの対峙について迷いを発生させる要素があってはいけないのです。

# それ故の葛藤を描くちょい小難しい感じがする物語もたくさんありますし、昨今だとアニメはそういう傾向強くなってきてる気がしますね。

ちょっと熱くなってしまったのでクールダウンを兼ねて(?)メインのトールダン7世について…

トールダン7世の守りたい正義とは、イシュガルドの繁栄と現在まで守られてきた(格差や不平等含めた)秩序の維持、且つドラゴン族の攻撃を止めることの3つ。
少なくとも当初はそれだけだったはずです。

猊下が蛮神ナイツ・オブ・ラウンドとなる術を手に入れた目的の半分くらいは、ドラゴン族の殲滅と帝国の侵襲を撃退するため。要するに外敵に対しての力として。
残る半分くらいは、1000年続いてきたイシュガルドの現体制を崩さず、その力と影響をイシュガルドの外にも広めるため。

前者はいいですよ、欺瞞コッテリの教えによってではありますが、イシュガルドの民もドラゴンさえ何とかなってくれれば、格差は残るにしても戦いに明け暮れる日々からの開放を意味するのだと安心はするでしょうから。
ですが後者は完全にトールダン7世達の暴走と言ってもいいでしょう。

途中ニーズヘッグは光の戦士ご一行によって討たれたので、後はドラゴン族の小粒が仕掛けてくる小競り合いをどう止めるか、だけで良かったはずなのですが、猊下は調子こいてしまったのですねえ。

永遠の神となった私が
闇の者もろとも 光の使徒をも斬り伏せてくれる
そして すべての人に祝福をあたえ
清らかなる聖徒に造り替え 恒久の平和を授けよう
エオルゼアダイアローグ 蒼天のイシュガルド

討伐戦で戦闘開始直前のセリフにこれが出てきた時に「あ、これフラグたてて下さったんだね^q^」と思いましたね。はい。

同じ憑依型蛮神のシヴァには、「ヒトと竜の融和」という絶対的目標があったからか、ヒトを竜に従属させるぞーとかその逆みたいな想念の飛躍がなかったのですが、蛮神ナイツ・オブ・ラウンドの皆さんは…

元々が支配者階級だから?己の既得権益を保持したままその他を吸収同化することが正義で、それを疑いもしない態度に傲慢さを感じるとともに、それを貫く潔さに呆れ通り越して感心も出来ます。

それとは少し違うのですが、決闘裁判直後に光の戦士をお呼び出しして、アシエンの存在をその時点でチラつかせるなど、さすがに老獪だなあと思わせる一面もありました。

目的は多分に光の戦士の実力を見極めることくらいだったと思いますが、異端審問自体は失敗すると見込んで、光の戦士にアシエンの接触を告げることまでは確定事項だったんだと思います。

「勝敗は早さと速さが別つ(by牛親父)」の原則を、このじーさんこそがしっかりやってるなあ…なんて。

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そんなトールダン7世、アイメリクや自らの前に立ち塞がる光の戦士に向ける言葉の中には、こちらの耳に痛い指摘も結構あります。

千年・・・・・・そう、千年もの間、受け入れてきた歴史と信仰を、民は易々と忘れられると思うのか?
エオルゼアダイアローグ ただ盟友のため

竜は、悠久の時を生きる存在・・・・・・。裏切りの記憶を抱えた奴らに、謝罪など通用せん。
(中略)戦で父を、夫を、そして子を失った民に、そなたらの家族は、偽りの正義のために死んだのだと、それが真実なのだと、そう伝えるのだな?
エオルゼアダイアローグ 真の変革

私達にとっては過去の誰かが成した他人の罪だけれど、竜達にとっては自分たちが当事者として受けた被害・悲劇であって、その差は埋めようもなく大きいことと。
真実ほど残酷なものはなく、ヒトは時として、その無慈悲な真実よりも慈悲に満ちた嘘を信じる、ということを突きつけている。
大変ありふれたテーマでドラマとしては珍しくもないのですけど。

トールダン7世のこのセリフとか、その後の彼の言動見ていると、あくまでイシュガルドの一番上にいる格差社会の勝者としてですが、イシュガルドの民のことを彼なりの考えで守ろうとしている点について、為政者として尊敬は出来るなと思いました。

とはいうものの、「ぶっちゃけちゃったらみんな激おこでイシュガルドがぶち壊れちゃうのは確実だけどそれでもいいの?それがわかってたから歴代教皇も黙ってたんだけど?」というのは、改革を推進したいアイメリク側に立つ光の戦士的結論として「やっぱお前クズだな!」です(しろめ)

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為政者と民の思惑の違い、「国とその未来」をマクロな視点で見つめる目と、「自分と大事な人たちの未来」をミクロな視点で見つめる目、という点のドラマは、恐らく今後のパッチやストーリーでも重要な点として描かれることになるのでしょう。

トールダン7世自体は今回一発で退場になりましたが、かいはつしつの権代さんが極で復帰する可能性を示唆してましたから(多分そうだと思うんですけど。自信ないや)どうなりますやら。

…本記事を書くにあたり、エオルゼアダイアローグ様には大層お世話になったのですが、そこで振り返って一点気になったのが、『トールダン7世は、今のニーズヘッグの左目がフレースヴェルグのものだと知っていた』ことについて。

誤算だったのは、両眼を失ってなお、邪竜が生きていたことよな。
奴はフレースヴェルグの眼を借り受け、蘇ったのだ。
エオルゼアダイアローグ 真の変革

…どこからもたらされた情報なんでしょう。
フレースヴェルグの様子では、吹聴したとはちょっと思えないしニーズヘッグ自身もそれを言い散らすようなことは多分してないと思うんですけどねえ…

前後の流れからして、たった今アイメリクによって告げられた真実に改めて納得した、という風味ではありませんし。
後々明らかになるのかなあ…闇に葬られそう…


今となっては、この手のドラマを刻むためにイシュガルドの設定をこうしたんだろうか、と思ったりもしたんですが、確か根性版の竜騎士クエストと新生以降の竜騎士クエスト、内容は同じはずなんですよね。

征竜将ハルドラスの名前も、その父トールダンの名前も、竜騎士クエストには出てきますので、根性版の時点でイシュガルドに関しては何らかストーリーを用意するつもりで設定を考えてはいたのでしょう。

恐らくその内容は、現在私達が知る3.0蒼天のイシュガルドで語られた内容とは全く違うものだったのではないかと思います。そちらのイシュガルド物語も見てみたかったなー。

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