アルフィノと、光の戦士。

2.0新生の暁と、3.0蒼天のキャラ布陣とで大きな差異は何かと問われれば、恐らくは「プレイヤー・光の戦士たちはパシリかどうか」ということよりも、「三国首長達と比べてさえ暁メンバーにドラマがなく、扱いやカットシーンの取り上げ率は大きいが関わってて面白くない」ということだと思うのですよ。

一言で言ってしまえば、蒼天のメンバーにはイシュガルドの国家問題という「当事者性」があり、そこに関与する必然性がありました。
彼らは自分のこととして事象を喜び、悲しみ、怒り…感情を露わにします。それがプレイヤーにとっては大きなドラマになりました。

しかし暁のメンバーは、担当国か否かすら関係なく、政治問題からは一歩引いた立場でなければなりません。
エオルゼアで光の戦士が関わる諸問題に対する当事者性を携え得ないのですよね。

彼らが(命がけですが)関わることには全て「仕事に対する義務感」のようなものが、個人の感情の前に一枚のヴェールとして存在するのです。
それがプレイヤーの感じたいドラマとの間でチラチラするので、何だか無性にイライラする。結局他人事だよねお前ら、と。

その代わりと言っては何ですが、各国の政治問題の当事者性とドラマは、各国首長が引き受けています。
今回クローズアップされたウルダハに関して言えば、ラウバーンとナナモ様が。(ここの二人は色々アレでソレすぎますが)

光の戦士が直接関わる暁メンバーの一番のドラマは、根性版と新生への変遷の間で既に終わってしまっています。
かろうじて私達が目にすることが出来たドラマが、ムーンブリダさんの尊い犠牲に纏わる悲しみ、その程度だったのではないでしょうか。

ルイゾワ様のドラマについては、大迷宮バハムートという限られた空間、限られた関係者…アリゼーとアルフィノと光の戦士のみにコンパクタイズされて、根性版時点では最も関わりの深かった暁の賢人たちはハブになってしまいました。

# このおかげで、アリゼー(とおまけでアルフィノ)に対しては好感を強めた人も少なくはなかったとは思いますけれど。

暁のメンバーが、与えられた役柄の重要度に反比例するレベルで世界から遊離して動くその様は、さながら彼らだけ英雄譚の起きるドラマチックな世界から切り離されてしまったかのような。
神話で渦中の人間に様々干渉する神様のような描かれ方で、全く感情移入が出来ないその有り様が、ある意味不可思議でさえあります。

ぶっちゃけ、主人公としての光の戦士に性格付けをするのは、(MMO)RPGの「あなたが主人公」という売り方を考えると、相当難しい。
暁メンバーを光の戦士の相棒とするには、立場の問題があってやりづらい。

それ故、暁メンバーには成し得ない「光の戦士を種々のトラブルに導き、出来る限り一緒に行動し、没入感を強める」という目的で、新生でアルフィノを用意した、と私は考えています。
彼は、「能動的に世界のために行動出来るもう一人の光の戦士」なのだと。

政治力を持って独立組織・暁として各国と直接駆け引き出来る人材が、暁という組織にもある意味必要だったので、それを埋めるため、という点も理由としては大きかったとは思います。
ハイデリンの加護も政治には決定的影響力を及ぼせないし、「中立性こそが重要」な暁メンバーは、各国首長や内政に積極的に関与は出来ず、紹介は出来ても首長達と光の戦士との間を取り持つには難しい。

その間を埋めるのが、アルフィノに与えられたいくつかの役割のうちの一つだと考えて良いかと。

ですが、登場した当時のアルフィノは、三国首長がカルテノーから5年の記念演説時、三国からも、光の戦士からも、完全に距離をとった第三者としての立場から評価をするのみ。
本人もまさかそのうち光の戦士とフィールドワークを共にするなど露程も想像していなかったでしょうしね。

その後砂の家が帝国の襲撃を受け、暁という組織そのものが存亡の危機に陥った時、シドと光の戦士を迎えに来た後、帝国への反撃の狼煙を上げるため奔走していた頃の彼は、挫折を知らず、家柄格式地位金頭脳など「持つ者」故の無自覚に不遜な態度を漂わせるお子様でした。

大迷宮バハムートでの家族愛に溢れる姿か2.55希望の灯火で大きな挫折を味わう姿を見るまで、彼に感情移入したり好感を抱いてた人ってあんまりいなかったのでは?

# …あの立ち居振る舞いとかには、長子として相通ずるところもあるのですが。

クリスタルブレイブの立ち上げから戦勝会での崩壊を経て、雪の家から新たに出発した後の彼は、エスティニアンの的確なツッコミにたじろいだり、リオル達の熱意に涙したりと、それまでと比較しても格段に、人間臭い個人的感情と素直さを垣間見せるようになりました。
そもそもの育ちが良いのと頭が良いために、どうしても理論で走る傾向は残りますが、それまでの肩肘張った印象が消え、一緒にいて助けあう仲間だという認識が自然に湧き出るような感じの良さが出てきたように思うのです。

頭でっかちの上流階級出身の若造が、鼻っ柱叩き折られて自信喪失したところから、仲間の存在に励まされ光の戦士の戦友として共に歩む中、人の機微に触れ様々な経験を積んで、等身大の少年として世界を自分の体で見聞きする。
新生・蒼天は、光の戦士が英雄として上り詰めて行く物語でしたが、その相棒として存在すべく登場したアルフィノの成長物語でもあったのかもしれません。

ジュヴナイルストーリー(殊に貴種流離譚を兼ねる)が好きな日本人向けのことを考えると尚更、主人公として設定されているのは本当はアルフィノだ、という考え方はアリなのかな、と。

タタルさんについては完全にオマケかと思いますw
というよりは当初こんなに人気が出るなんて想定してなかったんでしょう。
多分、声の収録してないタタルさんが出てくるから、前後のシーンにはしっかりボイスがあったミンフィリアもボイスなし、というカットシーンがありますし。(紀行録ではLv17「暁の血盟」カットシーン3ですね)

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少々気になるのが、今回低地ドラヴァニアへ足を伸ばす前に復帰したヤ・シュトラが、上記SSの場面だけでなく、後日談カットシーンには姿が見えませんでした。

恐らく他の賢人探しに精を出しているのであろうという予測は簡単に出来るのですが、その描写をしなかったのは何故なんでしょう?

(後日追記ここから)
よく考えたら、アレキサンダーの起動にヤ・シュトラが借り出されている描写はEDの一番最後に挿入されてましたっけ。要するにそのために色々してたので、他カットシーンに出てくる余裕がなかっただけですね。シドの出番もここだけですし。失礼しました。
(ここまで)

真・暁はアルフィノ筆頭でこの三名(タタル・光の戦士)が主軸になる、という暗示なんでしょうか。それとも他に意味があるのでしょうか?

3.1から先が楽しみですね。

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